2018年12月11日火曜日

太田泰彦著『プラナカンー東南アジアを動かす謎の民』を読む



リー・クアンユーは、誰もがその名を知る東南アジアの偉大な政治家である。私自身も、Facebook上で、彼が日本に警鐘を鳴らした2014年のネット記事にコメントをつけてFB投稿したことがある。2015年に彼が歿したことを思えば、かつて彼自身が「アジアの奇跡」として目標にした日本の凋落ぶりを目の当たりにして、「しっかりしろ!」と厳しくも温かな叱咤の言葉を、日本への遺言として伝えてくれたように思える。そして、われわれは、この偉大な政治家から受け取った「宿題」を果たせずにいる…。

日本はなぜ凡庸な国に変わったのか?シンガポール元首相が警鐘ー中国メディア


本の帯には、「なぜリー・クアンユーは隠し続けたのか?」と記されている。これはもう手に取るしかない。

本書は、一流のジャーナリストである著者が、3年間のシンガポール駐在中の丹念な取材をもとに執筆された良質のルポルタージュである。

そして、私よりはるかに濃密な形でリー氏から「宿題」を受け取ったのが著者の太田泰彦氏である。時は2012年5月、シンガポール政府の指名で1対1のインタビューに臨んだ著者は、「彼が伝えようとしていたメッセージを受信できないでいたように思う」と悔恨の念をにじませる。インタビューで、リー氏が何度も口にしたキーワード「アジアの時間」の真意を受け取り損ねたという後悔だ。著者は続ける。「もし、時計の針をあの日に戻せるなら、私はリー・クワンユーに迷わずこう質問するだろう。…『あなたの、そのアジア時間の感覚は、どこに源泉がありますか』」と。

本書が、優れたルポルタージュである理由の一つは、著者がジャーナリストとしての力をいかんなく発揮し、取材相手から引き出した等身大の言葉を、ジャーナリストの問題意識に乗せて、伝えている点にある。また、読者を取材現場へと誘い、いつの間にか、現地で著者と一緒にプラナカンたちの話に聞き入っているような錯覚に陥らせる情景描写力も本書の魅力の一つである。「一流のジャーナリスト」と言ってしまえばそれまでだが、本書から読み取れる著者の言語能力・描写力には舌を巻くしかない。

例えば、デザイナーのレイモンド・ウォンさん(シンガポール)。「プラナカンの先人は、斬新なデザインのバティック生地(※蝋けつ染めの布。インドネシア産のものは「ジャワ更紗」とも呼ばれる。世界無形文化遺産。)を見つけては、競うようにして服を作ったのだろう。当時のバティックを見ると、布の向こうに当時のグローバリゼーションが透けて見える気がする。」
 
ペナン島ジョージタウン(世界文化遺産)で、プラナカン空間を再現したクリス・オンさん(マレーシア)。「伝統文化うんぬんは、正直にいえば、あとで考えた理由かもしれない。ぼくはただ、ぼくの『おばあさんの世界』を再構築したかった。それだけです。…」「(世界文化遺産指定について)なぜ自分たちの伝統や文化を他人から鑑定(judge)されなければならないのか、という思いはある。伝統の在処は、自分自身の暮らしの中しかない。伝統を保存しようとして、ジョージタウン全体が博物館になってしまったら、それはプラナカン文化の死を意味すると思う。」

また、取材を通じて、著者が日本の読者に届ける平易な言葉に乗せたメッセージにも秀逸さが光る。

「あとがき」の一部を引用してみよう。
「プラナカンの先祖たちは、好きこのんで土着化したわけではありません。(それは)生き延びるためだったのでしょう。イスラムの王であるスルタンたちが支配(する)世界で商売をするためには、部外者である異邦人のままではいられません。異民族と交わり、異文化を取り込み、祖国の言葉も捨てて、現地に溶け込んでいくしかなかったでしょう。日本社会では「グローバリゼーション」が、合言葉のように語られています。そう叫ぶ人たちの多くは、自分のことになると、過去を捨てて自分を変容させる勇気がないようにも見えます。国や会社のグローバル化を願う人たちが、個人では少しもグローバルでないのは、なんだかおかしな気がします。グローバリゼーションの荒波をくぐり抜けてきたプラナカン一人ひとりの生き様には、私たち日本人が学ぶべき教訓が潜んでいるはずです。」
「プラナカンが現代の私たちに問いかけるものは何でしょうか。グローバリゼーションの中での国や組織、個人のあり方を考える上で、私の現地報告が、少しでも読者のお役に立てるのであれば幸せです。」


12月8日未明、改正出入国管理法が成立した。今後、これまで以上に、ジャパニーズ・ドリームを求めるアジア人が急増することは必至である。われわれは、彼らを受け入れる側として大きな意識改革を迫られている。このアジアのエネルギーを取り込み、リー・クワンユーの叱咤に答え、新たな繁栄を築くのか、それとも、差別意識と閉鎖的なマインドセットを変えられないまま、歴史の中に埋もれていくのか。


本書に登場するプラナカンたちは、われわれ日本人一人ひとりに静かに問うているようだ。




「あなたは変われますか?」






2018年11月28日水曜日

VUCA時代の大学ブランディング戦略(3・完)

みなさん、こんにちは。

スターバックスもiPhoneも、商品の機能的価値のみならず、皆が共感するビジョンを具現化して提供することで、ユーザーに長らく支持され続けていることが分かります。また、このビジョンは、競合他社が容易に模倣できない<物語>性を備えています。つまり、ライバルが似たような店舗で上質のコーヒーを提供しても、決してスターバックスにはなれない。酷似したスタイリッシュなスマホを提供しても、決してiPhoneにはなれない、というわけです。

ここまでくると、ちょっと宗教がかってきますが、われわれが、愛好者のことをxx信者と呼ぶのは、まさにこうした<物語>性を含め、スタバやiPhoneがとにかく好き!という状況を的確に表す隠喩表現なのです。

立教大学でしか学べないもの 


以上の補助線を踏まえて、立教大学が何を価値として提供すべきかについてお話していきます。とくに、高校生が日々振り回される偏差値という<ものさし>の呪縛を免れ、本当に意味のある価値に基づいて、大学選びを行うための情報を提供することは、大学の使命でもあります。前々回お話しした通り、偏差値という<ものさし>はVUCA時代において、まったく使い物になりません。長い人生を考えると・・・、などというつもりもありません。たった10年間(~28歳)で考えても、偏差値を基準として大学選びを行うことには、本来は、ほぼ意味がありません。

ただし、偏差値という<ものさし>はさまざまな思惑から、「有用である」と喧伝され続けており、大学側も、かつての業界標準だった偏差値という「ゲームのルール」の中で勝ち負けを目指す場合が少なくありません。

少し過激な言い方をすると、大学側が、偏差値を「ゲームのルール」として積極的に受け入れ利用するということは、すなわち、若者の人生を大きく左右する大事な選択の場面で、業界ぐるみでアンフェア・ゲームを押し付けていることを意味するとさえ感じます。


大学の経営陣(およびその《意志》を発信する広報)に求められるもっとも大事な仕事は,「ゲームのルール」を変えることです。

すなわち、受験業界がメシの種として提供する偏差値に一喜一憂させられているなら,高校生や保護者が絡め取られているこの時代遅れのシステムに対して,「あの王様,何も服を着てないよ?」と,本当は誰もが気づいていることを,明確に指摘することです。決して,既存システムに絡め取られる側、ましてや積極的に利用する側に回ってはいけません。


その上で,各大学が,「この世界をどのように変えたいのか」「そのためにどんな人材を育てたいのか」というミッションに基づいて断固とした意志を発信することが大事です。

VUCA時代にありがちなこととして,より具体的なビジョンを決めるのに,合理性や論理性(=機能的価値)をとことん突き詰めていっても,もうこれ以上何もよい知恵が出てこないという事態もまま起こりえます。そんなときに大事になるのは,各大学のもつ建学の精神であり,これまで長年にわたり大事に培われてきた価値観ということになります。つまり,最後の最後は,理屈(=合理的・論理的に説明可能なもの)ではないということであり、言語化できない価値にこそ、本当に人の心を打つ本質があるのです。

ドイツの哲学者ヴィトゲンシュタインが、言葉にできることを言い尽くした果てに立ち現れるものこそが本質的なものである,というのは、まさにこのことを表していると言ってよいでしょう。

立教大学の高らかに宣言する価値観に親和的な高校生は,立教大学が発信するメッセージに強く共感するでしょうし,立教大学に行けば,きっと自分と共感できる友に出会える,と期待に胸をふくらませることでしょう。これは教職員にも言えることですが,それを聞いた人をワクワクさせて,自分もぜひこの共同体の一員に加わりたいと思わせるような,そういう何かが,立教大学固有の価値ということになります。

VUCA時代の大学ブランディング戦略の要諦は,上記のような<大きな物語>を社会に向けて発信することです。立教大学のもつ本質的な強みは,立教ブランドに付随するストーリーと世界観です。提供される機能的価値において似たり寄ったりの主要大学間競争にあって,なお立教大学が唯一無二の存在として選好される事業資源は,他大学が決して模倣できない世界観,つまり建学の精神です。立教大学のもつ<物語>性だけは,決して模倣されることのない,揺るぎないオリジナルの価値です。そして創立者ウィリアムズ司教に始まる立教大学の世界観は,間違いなく、人々の間に強い共感を呼び起こす高い美意識に裏打ちされています。

立教大学について
立教大学の創立者と建学の精神

そして,立教大学の伝える<物語>に何かしら共鳴する高校生の皆さんをこそ,ぜひ立教大学にお迎えしたいと思います。そうして集った皆さんは,きっとここで生涯の友を得ることができるでしょう。だって《大切なもの》において共感できる人が選ばれてきているから。(ここで「神に選ばれて~」と書くと、本学のチャプレンは大喜びするでしょうが、そこはあえて書きません。言葉にしない方が伝わるものもあるのです。)




立教大学共同体の構成員は,皆,この世界をどう変えていきたいかという大学のミッションに共感し,互いに価値観の共有を喜び合い,そうして形作られるアイデンティティに誇りをもって日々の生活を送ることが,ひとつの理想です。この残酷でどうしようもなくひどい世界と向き合いながら,なお,希望を失うことなく,したたかに力を蓄えていくこと。この世界をよりマシなものに変えていく具体的方策を,決してあきらめずに仲間と一緒に考えていくこと,そして何よりも大事なのは決して希望を失わないことです。立教大学で出会う仲間は,多様な価値観を包摂し「異なる他者」を互いに尊重し、協働してこのミッションを一つひとつ実現していく朋輩であり,厳しい世界の現実を前に心挫けることなく希望をもち続けるための大切な支えでもあります。

皆さん一人ひとりの営みが,100年後の世界を形作っていくという自覚をもって学生生活を送り,卒業後は,社会に出てご活躍いただきたい。話が大きすぎて,ちょっとイメージできないかも知れませんが,皆さんは独りじゃありません。ともに学び合う仲間がいますし,私ども教職員が,導き手として,皆さんの長い人生のビジョンを明確にデザインするお手伝いをします。

こんなことを書くと,お前は新興宗教でも始める気か,とお叱りを受けそうですが,ご心配には及びません。立教大学の掲げる価値観は「自由の学府」です。もちろん,「自由」とは,勝手気ままに振る舞うことを意味する言葉ではありません。「自由」の意味については,人類が数百年にわたり,頭を悩ませてきた論題であり,私のような若輩に明確な答えが出せる筈もありません。ここは立教の先達の言葉に耳を傾けてみましょう。


下記は,立教大学に長年勤められた渡辺憲司先生が,定年退職後に立教新座高校の学校長をおつとめだった頃,卒業生に向けたメッセージです。


渡辺憲司「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」(2011年3月24日)

本文を少し抜粋してみましょう。

「誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。…(中略)…波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。…(中略)…時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。」

まさに卓見というべきでしょう。こうしたメッセージを本気で伝えてくれる教職員がいる場所,というのが立教大学の本質的な価値なのです。


《もう少し理解を深めるための一冊》

2018年11月18日日曜日

VUCA時代の大学ブランディング戦略(2)

みなさん,こんにちは。

前回,大学偏差値や機能的価値(教育の質,施設・設備等)は,高校生が大学選びする際の判断材料として決め手にならない場合が多いことをお伝えしました。ということは,大学のブランディング戦略として考えてみても,これら指標にもとづく《商品価値》をいくら広報しても,高校生のハートを鷲掴みするようなことにはならないということです。

では,大学は何を価値として提供するべきか?

前回お約束した通り,みなさんの理解を助けるための<補助線>を引いてみましょう。

この手の話をすると,必ず引き合いにだされるのが,スタバとiPhoneの例です。このブログのご案内する先は少し違う<場所>ですが,導入として,少しだけ触れておきます。

◯補助線(その1):スターバックス

スターバックスは,コーヒー等を中心とした飲食をするカフェですが,創業者CEOシュルツ氏は,スタバの提供する価値を「サードプレイス」であると明言しています。つまり,自宅(ファーストプレイス)でも職場・学校(セカンドプレイス)でもない,自分らしさを取り戻せる第三の居場所,というわけです。サードプレイスでは,様々なしがらみから解放され,自由に創造性を発揮することが期待されています。現実のスタバがそうした価値を提供できているかどうかは別として,たしかに,肩の力を抜いてほっとできる居場所が街中に確保されているというのはありがたいことです。

また,「スタバ族」と称される,「スタバに通う自分」を見る他者の目線を十分に意識しながら,承認欲求的な消費を愉しむ人たちが多数います。「承認欲求」とは,アメリカの心理学者マズローの提唱した欲求の5段階説の2番目に位置する欲求のことで,要するに,ファッションのように「スタバに行く自分」を演出しているということですね。ちなみに,これはちっとも悪いことじゃありません。レトロな喫茶店が好きな人もいれば,最近日本に上陸したブルーボトルコーヒーに飛びつく人もいる。商品を選好する理由はなんだっていいのです。

少し脱線しましたが,以上の説明で,人々がスターバックスを愛好する理由は,コーヒーが美味しいという機能的価値以外の価値も少なからず含まれていることがお分かりいただけたかと思います。

◯補助線(その2): iPhone

みなさん,スマホは何を使ってますか?具体的数字はともかく,国内にはiPhoneユーザーが数多く存在しています。では,iPhoneがなぜそれほどに支持されるのか。これにはさまざまな要因が絡み合っていますが,機能的価値だけで考えると,iPhoneにできてAndroidスマホにできないことはほぼありません。また,iPhoneの美しくスタイリッシュなデザインについても,同様にかなりクールなデザインのandroidスマホが各社から提供されています。

それでもやはり,私達は,スマートフォンに「アート」を持ち込んだスティーブ・ジョブズのこだわりを忘れることができません。そして,その精神は,彼の死後も今に至るまで受け継がれていると言っていいでしょう。もちろん,今もそのコンセプトが受け継がれる理由は,その方が「売れる」からですが,そもそもの話として,高い事業判断上のリスクをその狂気で乗り越え,当時,誰も想像できなかった価値を創造したジョブズはやはり個性豊かな天才というしかありません。そして,ジョブズと彼を巡る<大きな物語>,そしてその体現物であるiPhoneを,ユーザーは熱狂的に支持したのです。今のアップル社は,そのレガシーを大事に使い続けているわけで,主役の交代が著しいICT業界にあっては,稀有なことと言ってよいと思います。

もちろん,スターバックスと同様に,他人目線を意識した「iPhoneを使う私」という,承認欲求的なファッション消費が行われる場合も少なくないでしょう。

iPhoneがユーザーから根強く支持される理由が,機能的価値のみにもとづくものでないことが,これでお分かりいただけましたね。

さて,次回はいよいよ,大学は何を価値として提供すべきか,高校生は,何を判断材料として大学選びをするべきかについて,私の考えをお話ししていきましょう。

(つづく)


《理解を深めたい人のための一冊》

2018年10月28日日曜日

VUCA時代の大学ブランディング戦略(1)

みなさん,こんにちは。

突然ですが,「VUCA」(ブーカ)っていう言葉,知ってますか?

Volatility(変動),Uncertainty(不安定),Complexity(複雑),Ambiguity(曖昧)の頭文字を並べたもので,主にビジネス業界において,経営を取り巻く環境がこれらキーワードに表される難しい状況にあるという,時代認識を表す言葉です。

さまざまな変化が加速化し,「たしかなもの」が何一つないとさえ思えるVUCA時代にあって,大学は一体何を売り物として高校生や親御さんたちに訴求すべきか,という難しい問いが突きつけられています。

そこで今回は,VUCA時代の大学ブランディング戦略について考えてみましょう。要するに,大学が自校の魅力を伝え,高校生に訴求するため,一体何を提案すればいいのかという問題です。


大学偏差値とオトナの事情

いったん大学に入学すると4年間(以上)在籍して,その大学を中心に学びを実践するのが通常ですから,高校生にとって大学選びはとても大事なステップです。

全国模試等をもとに予備校が推計する大学偏差値は,高校生にとって,とても気になるモノサシだと思います。これは,受験生による人気投票の結果のようなものですが,各予備校の主観的分析も組み込まれており,受験業界のメシの種でもあります。一部の全国模試が無料で受験できるのも,予備校によるビッグデータ収集のため。GoogleやFacebookの個人データ収集と同じですね。

人気投票である以上,就職がいい,人気教授がいる,「国際色豊か」といったイメージなど,様々な判断材料が受験生の志望校選択に影響しているのだと思います。そう言えば,箱根駅伝に優勝した途端に受験者数が急増した都内某大学もありましたっけ。

しかしながら,18-21歳の,人との出会いや経験次第で,およそ別人のように変わる4年間という,大事な人生の時間を投資するのに,こうした曖昧なモノサシで学びの「場」を決めるのは,ちょっと考えものです。

たとえば,「就職がいい」というのも,これまたリクルートやマイナビ等の主観的分析を経た,かなり曖昧な評価指標で,就活・人材業界のメシの種になっています。しかも,主要大学卒業生の就業後2年間離職率は3割とも4割とも言われています。要するに,人生百年時代の長いキャリアを,転職を繰り返しながら自ら組み立てていくVUCA時代にあって,新卒就職の良し悪しの判断材料としての重要性は,相対的にかなり低下しているのが現状です。


1970~80年代には,立教大学も,予備校業界から,偏差値序列の中堅校グループ「MARCH」の"R"校として一くくりにされましたね。《高学歴パイプ》がそれなりに機能した1990年代までであればまだしも,VUCA時代において,いかに時代遅れのモノサシであるか,小さな子どもにも分かる理屈です。

以上の説明で,大学偏差値は,各大学の研究・教育や学習環境の質とはかなりかけ離れたものであり,本質的に,大事な4年間を過ごす学びの「場」を選ぶ判断材料としては,あまり当てにならないことがお分かりになったと思います。

では,なぜ今でも予備校業界はこの前世紀の遺物とも言うべき大学偏差値を使い続けているのでしょうか。それはズバリ,予備校業界のオトナの事情です。大学偏差値は,予備校業界のビジネスモデルにおける中核的な事業資産なので,誰も見向きしなくなるまでは,これを手放すという経営判断はありえません。手を変え品を変え,大学業界やマスコミも巻き込んで,とにかく喧伝し続けることになります。なんと言っても,主観的分析による操作が可能ですから,新しい取り組みをする大学の偏差値は少し補正するなど,偏差値操作の舞台裏が透けて見えるようです。

教育の質・学習環境の豊かさ(機能的価値)のレッドオーシャン化

では,高校生は,一体何を判断材料として志望校を選べばいいのしょう?そして,大学側は高校生に訴求するため一体何を提案すればいいのでしょう。


え?大学なんだから,1にも2にも研究・教育の質と豊かな学習環境(立地,施設等を含む)でしょう?

たしかに,教育の質や豊かな学習環境はとても大事です。また,キャンパスの美しさも大事。これら要素が,大学側が高校生に訴求する重要なポイントであることは否定しません。

ちなみに,立教大学には優れた研究・教育者が多数在籍し,日々,学習環境向上に向けた投資もしています。つまり,学生にとって「学び」の環境としては申し分ない。また,立教大学の池袋キャンパスは国内屈指の美しさを誇っていると言って差し支えありません。
モリス館(池袋キャンパス)









もっとも,ほとんどの主要大学は,教育の質や学習環境の改善・充実に向けた投資を継続的に行っています。いまは,まともな大学であれば,必ず,教育や建物等の施設の充実にどれくらいの金額を投資しているかといった財務情報が開示されています。大事な4年間を過ごす「場」を選ぶ以上,高校生のみなさんには,ぜひ志望校の財務情報を確認いただきたいと思います。

たとえば,立教大学の場合はコレ↓
http://www.rikkyo.ac.jp/about/disclosure/

要するに,どの主要大学も,高校生に訴求するため,教育・学習環境の質の改善に日々しのぎを削っているということですね。

ただし,ここである種のパラドックスが生じることに注意する必要があります。似たような指標に基づいて主要大学が投資競争を続けると,機能的な意味における教育・学習環境という《商品》の市場はレッドオーシャン化します。これについては,文科省の補助金行政による誘導の罪も軽くないと言わざるを得ませんが,「国際化」であれ「地域連携」であれ,補助金交付の条件のしばりがきついと,似たような取り組みに各大学のリソースが重点配分されることになります。

レッドオーシャン化するということは,高校生にとって,大学選びの判断材料として決め手にならない,ということを意味します。高校生の眼には,どの大学も似たり寄ったり,と映っていることでしょう。

また,一生の友人を得る機会がもっとも多いとされる4年間の人生の時間の大半を過ごす「場」を選ぶ以上,ないものねだりとは知りつつも,本当は,さらに決め手になる判断材料が欲しい!というのが高校生たちの本音でしょう。

もちろん,◯◯先生のゼミで△△について学びたい!と心に決めている人は,その動機づけに沿って志望校を選ぶ方法もありますが,16,7歳の頃の純粋無垢な思い込みに対しては,もう少しじっくり考えてみてもいいんじゃない?とおせっかいな助言もしたくなります。


さて,上記の問いに答え,大学の側から高校生に対して役に立つ判断材料を提供するという観点から,次回は,理解の助けとなる《補助線》を引くことから始めましょう。

(つづく)

《もう少し理解を深めたい人のための一冊》